浮靴沢奇談 鉄砲水【第4話 靴の淵】

釣りの小説 鉄砲水 第4話

浮靴沢奇談 鉄砲水

【第4話 靴の淵】

 前回からの続きです。
【第1話 隣の谷】はコチラ。>>
【第2話 浮靴沢】はコチラ。>>
【第3話 河原にて】はコチラ。>>

 ほどなく、手頃な大きさの石を並べて作った河原の生け簀(いけす)には、尺には少しだけ届かないくらいのサイズのイワナとヤマメが4尾ずつ揃っていた。
 流れの筋にルアーをキャストすればヤマメが釣れたし、崖の際のゆるい巻き返しの奥からはイワナが飛び出た。

「ハハハ! これはいい。笑いがとまらないナ。オヤジめ、ざまあみろ。」
「きっと、まだ釣れるゾ!」

 時間が止まっているかのような感覚の釣りに引き込まれていた。

 そして今度は、崖際に少し近づいた所へ足場を移動してから、手持ちのルアーの中でも一番の重量がある、グリーンのミノーに結び換えてみると、そのミノーはうまい具合に向こうの小さな滝つぼまで一直線に飛んで行った。

 ルアーがそろそろ淵底に沈み切るだろうかというところで、強弱をつけてロッドを煽りながらリールを巻く。
 引き寄せられるミノーが小気味良い振動を発しながら徐々にこちら側へと近づいて、ようやくその背中の緑色が視界に入り始めたと思った直後のことだ。

“ふっ” と、ルアーはその姿を消した。

 不思議なその現象に首をひねる間もなく、今度は鋭い衝撃が釣り糸を通して伝わって来た。
 ヒットだ。
「デカイ!」 ギラリと横っ腹を光らせたその魚影には、散りばめられた白点がはっきりと見てとれた。

「…… 」

 僕の興奮の絶頂は恐らくほんの数秒ほどのものだったろう。
 あえなく糸は切れ、大イワナは悶絶するかのようにしばし身をくねらせた後、緑色の大きな岩の影へと消えて行った。

 そして、無念さだけが残った。
 何故、新品の釣り糸に巻き換えていなかったか?

 河原に腰を下ろし、力の抜けた指先で、3本目のタバコに火をつけたが、煙がどちらの方向へ流れて行ったかなど、知る由もなかった。
 しばらく放心状態のようにボッとしていたが、少し気を取り直すと、今度は突然のように色々な思考が僕の頭の中に渦巻いた。

 最初は、あの魚のことを心配した。バーブレスのフック(カエシのない釣り針)とはいえ、うまく口のルアーが外せるだろうか。と。

 次に、あの一瞬、突然にルアーが消えたその訳について。
 そして思い出した。僕の操るグリーンのミノーは、あの時、同じく緑色の何かの中に溶けて行き、それで僕はルアーを見失ったのだ。ということ。
 それから、あのイワナが帰って行った大岩こそが、まさに、その『何か』だということ。
 僕の脳裏には大岩に消えて行ったイワナの姿が、その大岩の鮮やかな緑色の岩肌のイメージとともに、鮮明に焼き付いていた。

 つまり、ミノーが、あの大岩へと差し掛かったことで、僕はルアーを見失い、と同時にイワナはきっとその岩陰からルアーを追って、そしてまたそこへと戻って行ったということになるだろう。

 だから、今、一番重要な問題はイワナではなくて、その後だ。
「どう考えたって、あの大岩は翡翠の原石に決まっている。」そう思えた。

 僕はなんだか少し怖いような感覚をいだきつつ、ゆっくりと河原から腰を上げ、あらためてその淵の中を覗き込んだのだ。

(even)
【第5話 鉄砲水】へ続く。>>

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